裸になってユーカリの木を守るUC Berkeleyでプロテスト!生物学者が解説

       
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Taichi

Aug.03.2015 - 10:47 am

想像してほしい。

土曜日のさわやかな朝、仕事をしようと研究室に向かおうとUC Berkeleyのキャンパスを歩いていると、人通りがあるのにもかかわらず、素っ裸になったおじちゃんやおばちゃんがユーカリの木にしがみついているではないか!

進撃の巨人の撮影ではない。実はこれ、木の伐採に反対する最近話題のプロテストだった。Free Speech movement でも有名なバークレーでは、地面に座りこむ、手をつないで人を通さない、ガラスを割りながら街を練り歩く、高速道路を塞ぐ、など様々な過激なプロテストが日常的に起こる。もうどんなプロテストを見ても驚かないと思っていたが、裸で木にしがみつく大人たちはいろいろな意味で衝撃的なのでご紹介したい。

裸であることも面白いのだが、環境問題の根本を考える上でも、このプロテストには重要な要素が隠されていると思うのだ。誰のために木を守るのか?誰のために木を切るのか?大学院で生物学を専攻している生物学者としての視点で解説したい。

 

<ニュース記事の和訳(要約)>

記事元はこちら

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今月19日土曜日、50人以上の人がほとんど素っ裸でバークレーキャンパスのユーカリの森に集まり、政府のユーカリ伐採計画に反対するプロテストを行った。このプロテストの企画者である「Tree Spirit Project」の設立者Jack Gescheidt氏は、「木々がいかに我々の生活に直接また間接的に重要な役割を果たしているのか知ってもらうこと」をミッションに掲げている。

植林されたユーカリの木が山火事の原因になるとして、今年3月政府はカリフォルニア州に570万ドルかけてユーカリの森を伐採することを命じた。1991年クレアモントキャニオン一体は山火事により25人が死亡、3000世帯が家を失った悲劇が引き金になっている。

「Tree Spirit Project」は他の団体とも協力して木の伐採に反対している。The Hills Conservation Network という団体は 木の伐採は不必要でなおかつ害のあるものだとして政府組織を訴えている。彼らは生きた木より死んだ木の方が燃えやすいことを理由に、木の伐採は火災の危険を減少させるのではなく、かえって山火事を増加させると主張している。木の伐採後の切り株に使用予定である通称Round Upと呼ばれるグリフォセート除草剤の使用についてもプロテストしている。

しかし、部分的な木の伐採では不十分であると、「Tree Spirit Project」などとは真逆の理由で政府の木の伐採計画に反対している団体もいる。クレアモントキャニオンの保護団体は、ユーカリの木の根絶を支持している。Jon Kaufman代表は「外来種であるユーカリの木が、在来種である木々を追いやった結果、ユーカリの木が生い茂り、在来種であるナラや月桂樹まで光が届かず生態系が崩れていることが問題だ」と語っている。


土曜日の朝10時、「Tree Spirit Project」設立者のGescheidt氏は、6人のチームとともにバークレーのユーカリの森にボランティアを集めた。ユーカリが火災の原因であるのは間違っているとスピーチを行い、写真を撮るからアーティスティックに木の前でポーズをとるように促した。すると、多くのボランティアは服を脱ぎ素っ裸でポーズを決めたという。カメラマンTed Friedmanにより2時間近く撮影が行われた。

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写真:ボランティアに木の大切さを解くGescheidt氏(Ted Friedman)

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<解説> 

外来種であるユーカリの木

ユーカリの木はオーストラリア原産で、本来バークレーには生えておらず、人間が植林した外来種である。日本でも外来種であるブラックバス、ミドリガメ、マングースなどが在来種を絶滅に追いやっていることが危惧されている。そのため、外来種を排除することは生態系を自然な状態に戻す行為であり、環境保全の重要なアプローチの一つである。実際に、生物学を専攻する大学院生仲間のFacebookのポストを見ると、このニュースについて「外来種を守ってどうすんだよ、バカじゃないの」「他にもっとプロテストすべき重要な環境問題はいくらでもあるだろう」という意見が大半だ。

このプロテストを非難する理由は他にもあり、誤解されがちだが山火事は生態学的に必ずしも悪いことではない。日本での山火事は人為的な事故によるものが多いが、アメリカ南西部では山火事は自然のサイクルの一部なのである。例えば、 火の熱がないと松かさが開かず繁殖できない針葉樹や、焼けた土地にしか生えない草木、山火事が起きた後の生態系がないと繁殖できない鳥などが存在する。山火事がゼロになると絶滅してしまう動植物が多くいるのだ。それだけアメリカ南西部の生態系は山火事に頼っているため、数年おきに人為的に計画的な山火事に起こすぐらいだ。

バークレーに人間が来る前から生えているセコイアなどの在来種が、山火事を防ぐために伐採されてしまうことにプロテストするならわかるが、なぜにユーカリ?という意見がJon Kaufman氏を含め生物学を学ぶ専門家の大半の意見だろう。

 

生態系より自分の命や家が大事

山火事がどれだけ生態系にとって大事だろうが、自分の命や家の方が大事に決まっている。この意見はすごく理解できる。山火事の直接的な被害を受ける場所に住んでいたら、生態系のためなんてのんきなことを言っていられない。外来種を排除するという根本的理由は、人類のために健全な生態系を保つ必要があるからだ。現在の科学技術では、森ほど効率的に酸素・天然資源の供給、水の濾過、物質循環はできないのだから、「地球のため」などきれいごとではなく、我々が生きていくために環境保全は必須なのである。

しかし、自分の命や家を山火事で犠牲にしてまで人類のために英雄になる必要はない。外来種であろうが、在来種であろうが、自分の大切なものを守るために、家の周りの木を伐採したいという気持ちは当然だろう。政府の立場からしてみれば、国民の命を守るため、外来種を撲滅するため、ユーカリ伐採計画に570万ドル投資するのも理解できる。

 

木は悪くないのにかわいそう

外来種問題であまり言及されないのは、外来種として人間に勝手に連れてこられた生き物がかわいそうだという意見だ。外来種を見つけたら殺すべきという思想は正当化されている。しかし、日本に棲息する外来のブラックバスやミドリガメは、スポーツフィッシングがしたいから、ペットとして飼いきれなくなったから、という人間の勝手な理由で知らない土地に離されたにすぎない。ユーカリの木だって、何十年と生きてきて、人間の勝手な都合でオーストラリアから連れてこられ、勝手な都合で殺されたくはないだろう。

裸になる意味は自分には理解しがたいが、プロテストする人を感情論でなら理解することができる。もちろん感情に流されて、生態系が崩れ、取り返しのつかないことになったら遅い。しかし、我々も生き物である以上感情があって当たり前なのだ。例えば、犬を殺すことに抵抗はあっても、蚊を殺すことに抵抗はない。犬も蚊も同じ一つの尊い命であるのにである。彼らだってユーカリの木が除去されることに裸になれても、名前も知らないような外来種の雑草が除去されることには同じ感情をいだかないと思うのだ。木は長く生き、偉大で、何かスピリチュアルな存在であり、殺したくないという感情自体は何も間違っていない。この木に対する想いこそが、理論的な専門家が忘れがちな人間として持つべき優しい心なのかもしれない。

 

まとめ

山火事の直接被害とは無縁の人の理論的な意見。山火事によって命の危険にさらされる人の切実な意見。木が大好きで木のために裸になれちゃう人のやさしい意見。何が正しいかと議論したいわけではなく、立場によって同じ環境問題にもいろいろな見方があるということをこの記事では強調したつもりである。

個人的には環境問題で重要なのは優先順位だと考えている。例えば、もし人間を瞬殺する治療不可能な病原菌がユーカリの木にだけ育っていることがわかったら、 より多くの人がユーカリの木を撲滅しろと言うに違いない。人の命の方が木の命よりも大事であるからだ。このように、残念ながら命は平等ではない。注目されやすい美しい動植物の保護や繁殖に優先的に投資するのではなく、我々がヒトである以上ヒトの命を最優先にすることをもっとオープンに話し合い、生態学的な重要性に従って優先順位をつけて環境問題に取り組むべきではないかと思う。

この意見のために自分は裸になれない。しかし、彼らは裸になることで、自分にこの記事を書かせ、多くの人に環境問題について考えさせた。世の中にどうしても訴えたい想いや信念があるなら裸になるほどの覚悟も大事なのかもしれない。次回は裸で記事を書いてみようかと思う。

       

Taichi

UC Berkeley、生物学のPhD programに通う大学院生です。ネズミと腸内細菌をつかって「共生」をテーマに研究をしています。日本の外にはいろんな人や常識が存在するということを発信していければと思います。