アニメ界の映画賞総なめにしたピクサー「インサイドヘッド」を考える。

       
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Pixar Place : Jennifer Lynn
https://www.flickr.com/photos/129451096@N08/17220548870/

Taku

Feb.18.2016 - 03:26 am

最近一番心に残った映画の話をしようと思う。

バークレーから車で10分ほどの距離にスタジオがあるアメリカを代表する映像制作会社、ピクサーが制作したアニメ映画「インサイド・ヘッド( 原題:Inside Out )」だ。

( *「インサイド・ヘッド」は、“アニメーション界のアカデミー賞”ともいわれるアニー賞で作品賞をはじめとする過去最多14ノミネートを果たした。 )

IMG_5344 ピクサー敷地内の様子

img_8785_1024 ピクサー社屋内のオブジェ

アメリカへ戻る飛行機の中、塩ピーナッツ風味の指でモニターに映るイマイチなラインアップをスライドしながら、「まあアクション続きも疲れるし」と、日本語吹き替えの声優が知ってる人だったのだけを理由に、僕は半分寝るつもりで「インサイド・ヘッド」を観始めた。

IMG_5741

題材もキャラクターも、そこまで画期的なものではないのは映画を見なくてもわかる。しかし、僕の中の「素直な」部分が、その時は幅を利かせていたのかもしれない。これまでの僕自身の体験や感情とオーバーラップする部分が多くて、途中何度も身体が震えてしまった。不意をつかれたと気づいたのは、映画が終わってからだった。

ネタバレ記事にしたくないので、あまり詳しくは書かない。さすがピクサーというべきか、こんなにもひねくれた大学生が観ても、ちゃんとつじつまが合ってるように見えた。

物語は一人の女の子の頭の中に住みつく感情を擬人化したキャラクターたちが繰り広げてくれる。「よろこび」と「かなしみ」、そしてもう3人ほど。

個性ある彼らが思うこと、言葉に発すること、行動に起こすことが全て、その頭の持ち主の女の子の言動や表情を作る。きっと僕の頭の中もこうなっていたのかもしれないと思わせてくれる。(有名大学の心理学者とか生物学者とか雇って、誰もが理解に苦しまないような配慮をピクサーがしたであろうことは、簡単に予想がつくが。)

「よろこび」と「かなしみ」は、物語をクライマックスに引っ張っていく。映画の大部分で二人は馬が合わない。「よろこび」はどんなこともポジティブに捉えて、いいことが起こるように次の行動に移そうとするのに対し、「かなしみ」はどんな些細なことにも落ち込み、なるべく何もしないでいようとする。この二つの感情は対極のものなのか。二つが共存して、いい関係を結ぶことはできないのか。映画ではこの二人の行動に注目が集まる。

 

映画が描いた喜びと悲しみのジレンマは、誰にでも起こりうると思う。ふとした出来事が自分を悲しみのどん底に突き落とす。能天気な喜びに溢れていた世界が、一変して悲しみに包まれる。悲しみに満ちた現実は、苦しいからどうにかしてまた喜びを取り戻したい、過去に戻りたいと思う。

それならば、その過去の状況を記憶の限り分析し、それを取り戻さなければいけないのか。そうだとしたら失ったものの数が大きすぎる。時間は巻き戻せない。気付けばまた絶望の淵に立たされる。喜びを取り戻そうとすればするほど、悲しい気持ちに陥っていく。

「かなしみ」は触れる思い出すべてを冷たく塗りかえてしまう。自分の中でどんなに輝く特別な思い出も、深い悲しみの前には自分自身を奮い立たすことはできない。それは、時間という冷酷な壁が過去と現在を分けているからだ。自分を元気付けてくれるものを過去に探しても見つからない。「インサイド・ヘッド」は、こんな状況に答えを提示しているのだと僕は思う。

現実の悲しみは現実に向き合ってこそ解消される。

驚くほどの答えではないが、いざ悲しみに陥ってみると、こう結論付けるのは難しいのではないだろうか。特に喪失感の悲しみからは、過去にすがる自分を許さないでは逃げる道もない。あの時のこと、あの時の思い出、全てが今までの自分を作り、支えてきた。だから現実のこの悲しみを紐解くにも過去にヒントがあるはずだと、そう信じていたい。いつの日かあの頃の感覚が戻り、今現在の苦しみは和らぐ、そう信じて生きたい。

でも、それは違う。同じ感覚など絶対に訪れない。過去のことは、たとえ蘇ったとしても自分を切なくするだけだ。現実の悲しみは全てを塗り替える。しかし同時に、現実とは想像を絶する影響を自分に与える。あの時の喜びを超える新しい感覚を得ることも、現実だけが保持する可能性である。この映画は、その可能性に目を向けることがメッセージだったのかもしれない。

乾いた涙の冷たさを頬に感じながら、映画が終わった後も、映画に対しての自分の反応に僕は困惑していた。頭を整理しようとする理性と、ありのままの感情に浸っていたい感性がケンカして、不思議な金縛りみたいな感覚が身体を覆った。

ひょっとしたら本当に金縛りになっていて指先も動かないんじゃないかって思い、ある朝起きたら盲目になっていた人の話を小学生の時に聞いたのを思い出して、勝手に少し怖くなった。

無駄な心配はやめようと正気に戻って身体を動かそうとした時に、凄まじい疲労感と睡魔にあらゆる部分が軋めいて、自分がすごく疲れていることに気がついた。よくも寝ないで見終わったものだと、その時自分に感心した。

「つまり、いい映画とはこういうものだ。」と僕は悟り、全身のスイッチを切った。

[TOP画 Pixar Place : Jennifer Lynn https://www.flickr.com/photos/129451096@N08/17220548870/] 

       

Taku

UC Berkeleyで数学と哲学を専攻しています。大学生活はなるべく勉強から離れて音楽に夢中になったり小説を読み耽ったりしようかと甘いことを考えている2年生です。どうぞよろしくお願いします。ご感想・お問い合わせ大歓迎です:takut12[at]gmail.com