高給取りから収入ゼロへ。 元外資系証券営業マン、表さんの人生をインタビュー 。(前編)

       
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Ayaka

Feb.19.2015 - 02:44 am

UC Berkeley MBAイチの体格とキャラの持ち主、表さんに人生の軌跡をインタビュー。いつでも、誰とでも真っ直ぐ向き合ってくれる表さんらしい、素敵なストーリを聞く事ができました。

Omote Takanori



<略歴>
京都大学 法学部   2006卒
モルガンスタンレー  2006入社
UC Berkeley  MBA     2013〜
Meryeself        Co-founder & CEO
                                       < http://meryeself.com>
                                       <https://www.facebook.com/meryeself>
 

−序章— 学生時代
適材適所皆に一人一人あって、勉強にスポーツにしろ、その発掘の鍵は努力なのかもしれない 。

 “努力”して磨けるものがある事に気付いた中学時代

僕は兄がいて、兄はスポーツが上手で、成績も良くて、かっこよくて、よく比べられていました 。だから、何か自分も兄に負けないくらい頑張りたいなって思って、中学のテスト前にすごく勉強したんです、親が「あなたもういいから寝なさい」と心配するくらい。僕は決して勉強がすごく得意というわけではなかったので、 学校で渡されたテスト勉強計画書みたいなやつが真っ赤になるくらい予定を埋めて、これだけ勉強したら必ず成績はあがるだろうと思うレベル以上に頑張りました。そしたら学年で一位をとって。

あれ?奇跡かな?と思って、次も時間をかけて無茶苦茶頑張ってみたんです。そしたらまた一位をとる事ができて。自信はなかったですが、努力の結果が数字として表れたのがすごく嬉しくて、そこからも人一倍勉強を続けました。

人には生まれ持った才能があるけど、“努力”して磨けるものって沢山あるんじゃないかなって気付いたんだと思います。

 

勉学だけではなく、アメフトをはじめ、沢山の事に挑戦した高校時代

高校でアメフトを始めました。でも、僕の通っていた戸山高校は、色々なことをさせられる高校で、沢山の事に挑戦する機会がありました 。一番の例は受験に全く関係のない、地学IIを勉強させられたこと。多分日本で一年に1,000人も勉強してないですが、文系なのにその授業がありました。部活動のアメフトは5時半に練習が終わるので、アメフト以外にもバイトをしたり、文化祭には映画をつくったりもしましたよ。今振り返ると、高校生活は自分自身の幅を広げる良い機会に恵まれたなと思います。

 

アメフトに没頭し、京大の副主将にを務めた大学時代

アメフトを続けたかったので、大学は京大を目指しました。

法学部を専攻した理由は、当時は自分が何をやりたいかわからなかったので、自分の潜在能力を引き出せて、尚かつ可能性を広げられるかなと思ったからです。簡単にいうと一番潰しが効くと思ったわけです。

アメフト時代でも役立ったのが努力でした。アメフトは、サッカーとかと違って、一つのポジションの役割がちゃんとしているので、練習をくり返すほどうまくなります。自分のもっている能力を最大に引き出して、高めていけるところに夢中になりました。

 

—第二章— 就職活動期間
自分自身と向き合う事にじっくり時間をかける事が、一番大事なプロセス 。

一番大事なのは自分自身と見つめ合う事

大学時代はアメフトに人生をかけていたので、結果を残せないまま部活を終えてからは廃人のようでした。就職活動を目前にしても「自分って何ができるんだろう?」って考えても何も思い浮かばなくて。

本当は何も制限が無ければ、僕はアメリカのNFL選手になりたかった。子供達のスターになれて、すごい努力が大事だけど努力をしていても結果が出るかわからない。そして結果だけが全て。買った負けたで心おどる。でも、僕より40キロ体重があって身長が15センチ高くて2倍速く走れる人達と張り合っていくのはちょっと厳しいなぁって(笑)

そんな時、証券会社で働いていた10年年上の先輩に「お前なら証券会社が合うから、受けてみろ」と薦められ、言われるがままに受けてみたんです。結果ぼこぼこでした。

「なんで志望していますか?」と質問されても、「なんで俺ここにいるんだろう?」なんて思いながら面接していたので、受かるわけないですよね。(笑)

その後、兄に、就活生のバイブル、杉村太郎さんの“絶対内定”を薦められました。僕はやれと言われたことをやるのは得意なので、100個くらいある備え付けのワークシートまで全てやりました。

その結果が、外資系で働く’ もしくは、‘起業する’ って出てきたんです。

起業は、ビジネスのやり方もわからないし、リスクをとる勇気もなかった。外資系、その中でも証券会社は、実力主義で若い頃から自分の収益まで責任持って勝負できる。そう考え、外資系証券会社に的を絞ることにしました。

 

ナンバーワンじゃなくてオンリーワン

何度も絶対内定本を読み返し、色んな人に面接の練習を何回も何回も付き合ってもらいました。その中で、僕の人生の一つ一つのプロセスを振り返り、自分自身と向き合いました。そして“自分”というものの整理がついてきたんです。

僕が4年間を過ごしたアメフト部は、すごく自分を突き詰めるチームでした。

「お前は、練習でできるプレイをなんで試合でできないんだ?」「すみません、じゃなくて、理由を言え。」

なんて言われて、2時間以上突き詰められ続けたりした事もありました。自分はどれだけ弱いのか、じゃあどうしたら強くなれるのか、皆が変わるにはじゃあどうしたらいいのか。それはリーダーシップ教育そのものでした。

僕には形としての“トロフィー”こそはないけれど、そのトロフィーを勝ち得なかったという経験も含めて、この4年間の経験は自分自身にしかないものなんだな。と思えてきました。就職活動で話す内容は、話の“内容”でなくて、‘深さ’なんだと、途中からわかってきました。

今だから言えますが、大学4年間の内容はなんでもいいんです。何か夢中になれることを振り返る事によって、自分にしかできない話が出てくると思います。そういった自分自身と向き合う時間があってこそ、自分に何がやりたいかが見えてくる。それこそが就活の時もこれから先も一番大事だと思います。

そんな表さんに、若い頃から自分で責任を持てるような大きな仕事をしたい、という現在の学生達に対してもアドバイスを頂きました。

学生時代に会社作る事が一番いいんじゃないのかな?何のリスクもなく、時間は死ぬほどある。規模は小さくても良いから、責任は全部自分で背負う、 とにかくやってみるっていう事にすごく意義が有ると思う。そうして初めて見えてくるものも有ると思いますよ。

 

ー第三章— 外資証券会社にて
 いつでも真剣に自分と向き合っていたからこそ、楽しく働けたモルガンスタンレー時代。

アメフトを離れたあとも、営業マンとしてのチームプレー

営業マン時代はめちゃめちゃ楽しかったです。今でも、One of the best  の会社を選べたなって思う。モルガンスタンレーは他の人の考えを尊重する人が多く、お酒の席でうまく営業する人からプロダクト知識を極めている人まで、多種多彩なすごく良い営業チームでした。詰められる事もあったけど、僕の力を引き出してくれる為だった。実際のところ、若い頃から色々な経験も出来ました。営業職ということで美味しいレストランに行ったりとかも(笑)。

 

会社の中でも自分のフィールドを見つける。

働き始めは、もちろん何もできないし、仕事も与えられなかったです。その時が一番辛かったですね。会社に入った後も、自分には何ができるんだろう?ってよく考えていました。

他の人の手が回っていない新商品に注目して毎日レポートを書いたり、小さいサイズだけれども意味のある商品を考えて営業したり。自分にしかできない事を探して取り組むうちに、お客様も任せてもらえるようになっていきました。元々仕事自体は楽しかったのですが、その後は余計楽しくなってきましたね。

例えば、宴会芸とかも僕はいつも真面目に取り組みました(笑)みんながやりたがらないし、すごく些細な事だけど、そういう一つ一つの事にすごく意味があると思うんです。

会社の中でも自分だけのフィールドを見つけて、一生懸命頑張る。そうする事によって、会社の中での自分の存在価値が見出せてくるんじゃないかなと思います。

*宴会芸も全力でプレー
 

 

色々な経験を積んだ外資系証券マン時代を経て、今に至る転機から現在までの<後編はこちら

       

Ayaka

UC バークレーで経済学を専攻しています。バークレーへ入学を考えている方により多くの情報を提供していきたいと思っています♪